日記 猫の足音

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2005年05月17日

火曜日は、おばあちゃんちの日

いろいろと重なるものだ。
チビトム(猫)が他界して4日目の朝、
祖母が逝きました。
39.2度の熱を出した次の日。
熱は、お通夜の晩まで出ていた。
祖母のことも、チビトムのことも
わかっていたことなのでショックはありません。
あまり苦しまないでほしかったし、
そろそろだろうと覚悟もできていた。
葬儀などで忙しく、全く寝込めなかったので、
風邪はまだ治りません。

毎週火曜日は、「おばあちゃんちの日」だった。
美術学生の頃は、土曜日が休日だったので土曜日。
ここ数年は火曜日だった。
ずっと、週に一度は祖母宅の日と決まっていた。
学生の頃は、祖母宅に私の部屋を作り、
絵を描いて、たまに頼まれた用事をしていた。
その頃は祖父も生きていて、
よくシャツのボタン付けを頼まれた。

祖母の老化に伴い、用事がどんどん増えた。
泊まっても絵を描く時間はなくなり、
掃除や買い物、外出の付き添いの日となった。
鍋が焦げていたり、ガラスの破片が落ちていたり、
冷蔵庫の中がベタベタになっていたり…。
私が30歳くらいの頃だったか、少し辛くなり、
毎週祖母宅の前夜に蕁麻疹が出て困った。
少し気楽に手伝おうと肩の力が抜けた頃、
蕁麻疹もでなくなった。
耳が遠いのでテレビの音量がだいぶ大きくなって、
私の耳もかなり疲れた。
けれども、そのおかげで
蚊の鳴くような声だった私は、
大きな声ではっきり話せるようになった。

OLをしていた頃は、
なかなか週に一度は行けなかったけれど、
勤め先の銀座で、時々祖母とデートした。
デパ地下のベンチで待っていてと約束をして、
私は夕方仕事を終え、
急ぎ足でデパートの階段を下りて行く。
必ず早く来て座っていた祖母が、
「まみちゃんは内股で下りてくるからすぐわかる」
と笑っていた。
銀座のライオンで生ビールで乾杯し、
フレンチフライドポテトを食べる。
最後にライオンに行ったのは、今年の1月の初め。
足が弱くなり外出もタクシーが増えた。
「鳩居堂」までタクシーで行って、
祖母は便箋、私は個展用の芳名帳を買った後、
ゆっくり歩行者天国をライオンまで歩いた。
生ビールは中ジョッキを2つ頼むのだけど、
私はそんなに飲めないから、
祖母のジョッキが空になったらジョッキを交換する。
冷えてる方が好きなので、ビールにも氷を入れる。
そのやり取りは、相変わらずだった。

そうやって祖母と2人で、
ずいぶんいろんなところに行った。
時々、横浜に泊まりに行った。
元町商店街を練り歩き買い物して、
「ホテル・ザ・ヨコハマ」に泊まる。
夜はカクテル“赤い靴”を飲む。
新宿の「時屋」では、うどんと甘味。
毎年雛祭りの前は、
小田急ハルクの地下で「虎屋」の箱菓子を買い、
「千疋屋フルーツパーラー」へ。
渋谷は東急本店に行き、買い物を済ませたら、
レストラン街の「揚州飯店」へ。
前菜からデザートまでお腹いっぱい食べて、
おみやげに大きな中華まんじゅうを買う。
成城へ用事で行ったときは、
「櫻子」で和風弁当や甘味を食べ、
成城石井(高級スーパーマーケット)で買い物をして、
「アルプス」でケーキセット。
あちこちに、祖母のお気に入りの店があり、
お決まりのコースがあった。

今日は祖母のいない
初めての火曜日(おばあちゃんちの日)。
けれども思い出の場所が、
あまりにたくさんあり過ぎて、
どこに行っても祖母とすぐ会える気がする。

投稿者 mamiko : 05:04